昭和編年史 昭和三十五年版3

昭和編年史 昭和三十五年版3 page 37/50

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497 六 月6・18毎日新聞(11)国会構内犯人は加才の安保阻止の国会アモが再び盛り上った十七日午後五時五十分ごろ、衆議院議昼由会所の請願受付所で社会党顧問、河上丈太郎代議士一七ごが暴漢に切出しナイフで背後....

497 六 月6・18毎日新聞(11)国会構内犯人は加才の安保阻止の国会アモが再び盛り上った十七日午後五時五十分ごろ、衆議院議昼由会所の請願受付所で社会党顧問、河上丈太郎代議士一七ごが暴漢に切出しナイフで背後から刺された。河上氏は議昼面会所内の衆議院医墾室で応急手当のさえ、同六時半、書量で墓尽港区芝御成門の東京慈恵医大付属病院に運ばれたロ傷は左背部、幅二句、深さ四丹ンo 犯人はデモ隊にまぎれて逃げようとしたが、そばにいた同党西村関一代警らに固まれてナイフをもぎとられ、かけつけた警官に捕まった。警視庁の調べによると、犯人は練馬区北町一一一の一五三五、工貝戸澗(とま)真三郎(一己とわかった。国会構内で議員か暴漢に刺されたのははじめてである。社会党山田長司代議士ら目撃者の話によると、河上氏はキリスト教大学関係の教授、学生が請願にくるというので、末子夫人とともに請聞受付所に出ていた。両側には同党代議士ら約二十人がおり、受付の二列目机の前に座っていたが、請願を旨つけるため前に出たところ、よごれたワイシャツ、国吋スボンに運動グツの若い男がデモの人波をかきわけで近づいたロ請願用紙がとりにきたものと思い、気にもとめずにいると、男は請願台のスミを通って議員たちのうしろに回り、河上氏の肩をつかんだ。同氏がふり返る2したとき、男は切出しナイフを逆手にもって河上氏の左背中へ突き相荘。河上氏はかすかにうめ者芦をあげ、右手を肩越しに背中へ回して傷口をおさえ、よろめくようにそばの長イスによりかかった。犯人はナイフをぬき、再び河上氏めがけてふりあげたが、付近にいた女性が「キヤツ」と悲鳴をあげたので、デモにまぎれて逃げ出そうとしたところを山国代議士らに取り押さえられた。数討のところにいた衛視四人もはじめて気がつき、瞥官とともに逮捕した。河上氏の顔は真っ青なにを聞いてもひとことも答えず、顔をしかめていた。下着のメリヤスシャツに一一一カ所くらい血がにじんでいた。河上氏は議員面会所の医墾室で手当をうけ、ついで参議院医務室で応急手当ののち、整量で整忠医大病院に収容された。整輩にのるとき「歩きたくない」とひとこといい、タンカにうつぶせになって運ばれた。この聖日で請願所の前のデモ隊は「なにごとか」と色めきたち、一時行進が止まったが、社会党議員の呼びかけで平静にもどり、行進をつづけた。直ちに手術墓尽慈恵医大付属北病舎に運ばれた河上氏は同大学高国外科船崎医学博士の執刀で午後六時四十分から四十分、手術か行われた。終って河上氏は新館二階二十七号室に入院することになった。十日くらいで退院船崎医博の話傷は深さ囲内ンくらいで、震を傷つけた存。肩こう骨には異常はない。十八日に一応レントゲン笠柔をとるが、一一週間程度の傷で、余病さえ出なければ十日もすれば退院工員できると思う。傷口が小さいので少しひろげて五針縫った。手術中、河上さんは非常に落着いていた。椎名長官が見舞う首相の伐理で椎名宣一房長官は十七日夜、岸首相の代理として河上丈太郎氏を慈恵医大病院に見舞った。西尾氏、衆院議長も病院には二人の娘さん、社会党の松井組織部長、松沢兼人衆院議員ゃ、+註時代から行動がともにしたこともある西尾末広民社党委員長もかけつけ、沈痛な顔で「国会が正常化されていないところからこんな問題もでてくる。正常化することが急務だ」と語った。また清瀬衆院議長、中村副議長も見舞に訪れた。首相と議長の責任時社会党は十七日午後六時半すぎ院内で緊急幹部会を聞き、河上顧問の刺傷事件についてつぎの党声明を発表した。一、本日(十七日)は右翼暴力団が国会に押しかけるとの情報があったので厳童警戒するよう数回にわたり警告したにもかかわムヂ不祥事の発生をみたことは警視庁の怠慢である。一、なお事件発生場所が衆院構内であったことは衆院議長の責任であるロ我々は岸政府および衆院議長の責任を徹底的に追及するとともに今後かかる事態の絶対発生しないことを要求するロ警視総監に辞職勧告河上氏の事件につき同党の松本治一郎顧問をはじめ大原亨(衆院)戸叶武(参院)亀田得治(同)の四氏は十七日夜、警視庁に小倉警視総監をたずね、辞職を勧告するとともに警備に欠崎言ったのではないかと抗議を行なった。地検が現場検証河上代議士が刺された事件を重視した墓泉地検は、特捜部がこの事件の捜査に当たることを決め十七日夜、沼里副部長と栗本検事が現