昭和編年史 昭和三十五年版3

昭和編年史 昭和三十五年版3 page 39/50

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513 六 月6・19朝日新聞(1)デモ、徹夜で国会を包む後三時から三宅坂の国立劇場予定地に二十五万人が柔めて「岸内閣打倒・開会即時解散要求・安保批准阻止、不当弾圧反対」をスローガンに国民大会を聞いた。品蕩....

513 六 月6・19朝日新聞(1)デモ、徹夜で国会を包む後三時から三宅坂の国立劇場予定地に二十五万人が柔めて「岸内閣打倒・開会即時解散要求・安保批准阻止、不当弾圧反対」をスローガンに国民大会を聞いた。品蕩は里謡内流血事件で死んだ樺美智子さんを悼む喪章をつけた赤旗と黒い腕章、リボンの人波でうずまり、会場横の都電通りから国会付近まで人があふれた。大会は浅沼社会党委員長、野坂共産事央委幹部会議長のあいさつの後、岸内閣打倒・里一癖散、樺さんに対する哀喰不当弾圧反対などを決議した。問問問凶胤叫目立つ三十三万を動員翠宮鵠安保新条約が自然承認となった十九日午前零時、安保盛定随止問屋議は直ちに「この条約は認めない」と声明を発表、国会正門、南通用門、衆時議長面会所の一カ票、抗議集会信聞き、社会党の安保新券利不承認宣言を確認して気勢をあげた。十八日から十九日未明にかけての閏民会議の国A窓アモは、開会議の発表で三十一一一万人、響視庁調ベでも十三万人に達し、これまでの安保阻止運動を通じ最高の動員となった。十八日午後に入って刻々ふえた労組、学生、一般市民のデモは夜に入って国会のまわりをギツシリ樫め、霞ケ一関官庁街、一二宅坂まであふれた。この2ぷ亭連主流派二万人余りは国A《首相官邸の周辺に終始すわりこみ、自然承認後も徹夜した。この日、国民会議は午